感情が欠落している人間である。
言い過ぎた。
全然何も感じないサイコパスではない。恐らく周りの人が感じる嬉しい、悲しい、つらい、楽しいの幾分の1しか感じていないのかも、という話だ。
感情の起伏が穏やかと言った方がいいのか。
人と別れる時や何かが終わる時に悲しいと思った経験があまりない。
映画を見て泣いたことが数えるほどしかない。
今年は卒業式に2つ出席した。
1つは弟の。もう1つは自分のである。
弟の卒業式なのだが、ご時世で家族で1人しか出席できず両親が喧嘩になるので、間をとって兄の登場ということだ。
久しぶりに母校の体育館に入ると、耐震工事がなされたものの父の時代からあるという体育館は未だに古さから来る威厳を身に纏っていた。
事あるごとに体を反らせて歌った校歌はまだ歌えた。
校門であいさつ運動をしていたおばちゃんには当時付き合ってた彼女の名前をきっかけに思い出された。
野球部のマウンドは相変わらずプレートがガタガタだった。
自分の卒業式は、視点が大きく変わった気がした。
周りに立っていた教授たちも一社会人なのだと思うと、尊敬の念を感じた。
話は変わるが、うちの親父はいわゆるサラリーマンである。最近は責任を感じるのか、いろんな事が気になるのか、夜は不眠気味であるらしい。是非サウナをおすすめしたい。
親父は、遅くとも夜は23時に床につき、朝は6時には起きる。
8時前に出勤し帰ってくるのは19〜21時。この生活を知る限りずっと繰り返している。
自分が大学を卒業し、改めて働くということを意識した時、うちの親父をすごいと思った。
同じような日を過ごす事がどれだけ大変か、まだまだガキだったのだと思う。
自分の卒業式の話に戻る。
学生証を返した時、あなたはもうここには必要ありません、と言われているような気がして寂しかった。
後半の2年間はご時世であまり学校には行けず、友達にも会えなかったがそれでも濃い4年間だったように思う。
いろんな人に会って、いろんな価値観を感じた。
知らないところにたくさん行ったし、初めてのこともたくさん体験した。
第一志望の大学では無かった。
他の大学にもそれなりに濃い4年間を過ごしていただろう。
それでもこの大学での4年間も悪く無かったと思える。
ちょっとは普通に近づいたのだろうか。