人生で必要のないと考える時間の一つに「移動時間」がある。
通勤の時間は短かければ短いほどいい。旅行は移動の時間に縛られているし。
高校への長い上り坂で、どうやったって間に合わない時計を見ながら、瞬間移動出来たらどんなに楽だろうと何度思ったか思い出せない。
移動時間は短い方がいいのだが、自分が運転するとなると話は別だからタチが悪い。
だれかこのわがまま野郎を止めて頂きたい。
自分が運転する車には長く乗っていたいと思う。眠気が無ければ、3、4時間くらいはほぼ休憩なしで運転できる。私の車にはカーナビなどという高度なデバイスは付いていない。あるのはCDとカセット再生できるオーディオだけである。今時珍しくて最高だなと思う。
自分の車を持ち始めて1年が経過した。1年でおよそ1万1千キロを走っている。そりゃ車検で20万請求される。
乗っているのはトヨタのラクティス。普通車五人乗り。シートを倒すと、大人2人が車中泊できるくらいのスペースがある、それなりに広い車で気に入っている。
だが名前を言っても大概「あ、あの車ね」とはならず、微妙な反応をされるまでが一連の流れとなっている。
うちの車は、じいちゃんにもらった。
じいちゃんは免許を返納し、車に乗れなくなった。乗らなくなった。
じいちゃんはさっき話したことをすぐに忘れてしまう。運転はもう出来ませんよと、警察に言われてしまったらしょうがない。
じいちゃんは毎日喫茶店にコーヒーを飲みに行く。
実家に帰ると、隣に住んでいるじいちゃんを車に乗せてモーニングを食べに行くのが毎回の流れになっている。明日の朝喫茶店俺も連れてってというと、じいちゃんは少しうれしそうな顔をする。昭和の人間だから、寡黙でいつもシャツにスラックス、財布は持たずポケットに現金を入れているだけ。
昔からある喫茶店に通うじいちゃんは毎回、わしはこの喫茶店の皆勤賞だ、と繰り返し言う。
窓を開けて走るのが好きだ。
なぜだろうと考えてみたが、自然を感じながら走れるという答えに落ち着いた。
出来る時期に限りがあるのが少しさびしい。
時々60km/hに手を出してみたりする。いくら空気を掴んでも、おっぱいの感触にはほど遠い。おっぱいの弾力は唯一無二なのだ。空気がおっぱいだとバカなことを言っちゃいけない。
毎回、全然違うじゃないか、と思いながら手を引っ込める。わかる人はいるだろうか。
昨日まで雨が降って今日は朝から晴れた。
洗車をするにはいい日だ。キレイな車に乗るのは気持ちがいい。
鳥のフンが落ちてきたとしても、“ウン”がついていると割り切れそうだ。