giveの精神

銭湯が好きだ。

スーパー銭湯のような大きいところではなく、街の小さな銭湯。

番頭さんがいて現金しか使えなくて、冷蔵庫の中にコーヒー牛乳が冷えている。

風呂の種類も少なくて、お湯・あつ湯・水風呂・電気風呂。なんならもっと少なくてもいい。

道端なら素通りして聞き逃すようなおじさんの会話にも、興味を持ってしまう自分がいる。

銭湯が好きだ。

よく行く銭湯がある。

奈良にも多くはないが、昔ながらの銭湯がポツポツとある。

行ける時は週一、2週に1回は必ず行く。

そこの銭湯での1番の目当てはサウナなのだが、とてもアツくてとても狭い。

ちなみにだが、水風呂もキンキンに冷たくて最高である。

まぁそんなアツくて狭いわけなので、お隣さんとの距離も近くなってしまう(心も物理的にも)。

そんな中見たことはあるけど、話したことはない常連の人に話しかけられた。

「お兄ちゃん、トレーニングかなんかやってはんの?」

「筋トレですか?いや、やってないんですよ」

「やってへんのにそんな体バキバキなん?羨ましいわぁ」

「筋トレじゃなくてクライミングやってるんですよ」

「クライミングってあれけ?オリンピックの?」

「あ、そうですそうです」

なんとも気持ちのいい会話である。

スーパー銭湯ではここまでの会話の展開は生まれないだろう。

アツくて狭いからこその交流。これも銭湯の醍醐味である。

そんなこんなで一通り話終わって、「ほな、先上がるわ!おつかれさん!」と言って出ていった常連さん。

体を洗うシャワーの椅子を全て揃え、散らかっていた風呂桶を片付け、泡が残っている床をザバーっと流して出ていった。

水風呂から出てととのっていた自分には、衝撃の光景だった。

「これがgiveの精神か! 次に使う人のことを考えた素晴らしい行為だ!」

と思った。

自分の使ったところならまだしも、使っていないところまで綺麗にする発想が今まで無かった。

この常連さんは、自分が銭湯が好きでこうしないと気が済まないから自分のためにやっている、と言いそうな気もしたが、それはまぁ置いといて。

いい行為を見た後は不思議と自分もやりたくなるもので。

脱衣所のロッカーの上に、水が入ったペットボトルがあるのに気がついた。

giveの精神を与えられた自分にとっては、チャンスに違いない。

捨てようと手を伸ばした時に、気づいた。

「これまだ飲んでいる途中だったら? もしここに置いているだけだったら?」

giveの精神には先のことを考える力が必須なのだな、と気づきのあったいい1日だった。

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そして会社員はつづく
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